First -1-

冷たい海風が吹き抜けていく。見上げると、西の空に残っていた橙色は消え、濃い群青の空にわずかばかりの星が瞬いていた。
息をつけば、一瞬白く染まって空気の中に消えていく。喧騒も聞こえない、穏やかな夜だ。

「帯刀さん、こっちです」
声をかけられて視線を向けると、数メートル先でゆきが手を振っているのが見える。空を眺めている間に、だいぶ距離が開いてしまったようだ。
早足で追いつくと、この先ですよ、とコートの袖を軽く引きながら彼女が歩き出す。
(そこは手をつないで欲しいのだけど)
今にも走り出しそうな足取りに苦笑しながらついていくと、海にせり出した部分の一番奥で、彼女の歩みが止まった。
「ここですよ」
嬉しくてたまらないという様子で彼女の示す先には、きらきらと輝く街並みが広がっている。
闇の中に浮かび上がる景色の眩しさに、小松は思わず目を細めた。
「ここからの眺めも美しいね。ずっと見ていたくなる」
「はい! あそこの展望台から見るのもとても綺麗でしたけど、こうして海から見るのも、また違う表情が見えて素敵ですよね。お友達から聞いてて、ずっと来てみたかったんです」
(――ずっと、来てみたかった?)
返ってきた言葉を聞いて、軽く息を飲む。
聞き間違いではないよねと心中で呟きながら、彼女の横顔をまじまじと見つめた。
「……ゆきくん。君も、ここに来るのは初めてなの?」
「はい! 初めて見に来る時には帯刀さんが一緒だといいなって、ずっと思ってたんですよ」
心から幸せそうに微笑んで、ゆきは夜景へと視線を戻す。呆気にとられているこちらには気づかないまま、彼女は輝く街に見入っていた。
(初めて、か……)
繰り返して、その言葉をかみ締める。じわじわと心に染み渡っていく感覚に、小松は視線を足元へと落とした。
異世界からこちらに移った小松は、元々こちらの住人であったゆきに教えられることが多い。
小松にとっては初めてのことでも、ゆきはもう既に経験済みであるということがほとんどだ。悔しいとまではいかなくとも、割り切れないものを感じてしまう。
それが、この場所は、自分だけでなく彼女も初めてなのだ。その感覚を一緒に分け合えることに、喜びや気恥ずかしさやら、何やらよくわからない感情がない交ぜになって込み上げてくる。
目元や頬が熱くなるのを感じて、小松は思わず口元を片手で覆った。

「……帯刀さん?」
何も喋らないことを不思議に思ったのか、ゆきが首をかしげてこちらを覗き込んでくる。
視線がばちりと合う前に軽く咳払いをし、小松は頬の熱を誤魔化すように微笑みを浮かべた。
「何でもないよ。もう少し、眺めていこうか」
コートを掴んでいた彼女の手を離し、そっと握る。手袋越しに、彼女の体温が伝わってきた。


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――――――――――
続きます。
2012.12.4.Update

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